Cocain
NYという街は 私にとって特に孤独を強く感じる場所だ。
たぶんここに住む人の殆どが私と同じように感じているに違いない。
孤独とは何かを考える。そんな生やさしいものではなく、突然現れ、否応なしに襲いかかってくる。
孤独感というより 寂寥感というのだろうか?
私はこれがとても大切な感覚だと信じている。
NYで生活していくには・・・そう、作家ピート・ハミルのようにそんな感覚を文にして表現できるくらい、ある意味で敏感な感性と強い乾いた心が必要だ。
それを体験してみたいと思うあなたは、一度 クリスマスに合わせてNYにでかけてみるといい。
一人が嫌なら二人でも問題ない、5人くらいで出かけるとさらに番狂わせとなるだろう。
世界を旅してきた若者が、NYに来る。突然、いたたまれないという感覚に襲われあわててふるさとに帰る。
NYとはそういう街だ。

誰にも干渉されない自由を選ぶ。
そして、誰にも助けを得られない孤独を覚悟する。
何が起きても何があっても 自分の力で強く生きていく。
そんなことは当たり前だとあなたは言うだろうが、あなたを軸にして半径一万キロ圏内に親身になってくれる人の無いというのは希なことだろう。
私はNYで親身になってもらったことがある。しかし、自分にはそれが出来なかった。その悔しさが忘れられない。忘れることが出来ない。

私の中ではまだケリー・ジョー(仮名)に何もしてあげることが出来なかったという事が胸につかえている。
そのころの私は仕事にもNY生活にも慣れ経済的にもだいぶ余裕が出てきていた。
”See you later alligator. After while crocodile.”
アメリカ人なら誰でも知っている こんな子どもの言葉遊び等を私に教えてくれたのはケリー・ジョーという アメリカ人だ。彼女は中西部のネブラスカ州から 留学生の良一(仮名)と一緒にハイスクールを卒業して NYに出てきた。
彼らはまだ若く 良一は明るく元気で英語がうまく、特にニュースキャスターの真似が得意だった。
良一もケリージョーも180センチくらいの身長で ケリージョーの方が少しだけ背が高かった。彼女はブロンドでやや面長の屈託のない子だった。
その頃 会社には何台か車があり それをNJに住む従業員が使っていた。
その内の一台、カマロ・Z28で良一はNJからマンハッタンの店に出勤していた。
ケリーは遊んでいるのも勿体ないので 同じマンハッタンの店でコートチェック係りをしていた。
ケリーはよくネブラスカの母親と電話をしていた。
11人兄弟のしたから4番目か。常に家族の写真を携帯していた。
写真は一人ずつカードのようになっていて自分以外で12枚あった。
ヒゲ面のお父さんと 幼い妹のかわいい写真が印象的だった。
そんな彼女の両親がネブラスカから出てくることは一度も無かった。

良一のほうは お母さんが一度だけNYに息子を訪ねてきて 私もお会いした事がある。
彼らがマンハッタンの本店で働き始めてから数年経った。
たまたまNJの支店の人が足りなくなったので良一にヘルプに行ってもらうことになった。
良一はホイホイと引き受けてしまった。しかし、私はこれが発端だと思う。彼らを手元に置いておけば良かった。
NJ支店に行ってからも良一は本店にたまに顔を出す。
ケリーは週三日ぐらいベビーシッターをしているという。
それで、私は彼女に週一回だけ私の部屋掃除と洗濯をしてもらうことにした。
一人暮らしのその頃の私、自分の部屋をきれいにしておく為にある人を頼んでいたのだが、その人が日本に帰ってしまったからだ。
鍵を渡しておける人はそう沢山は居ない。
ケリーは私の留守に部屋に来て洗濯と掃除をして帰る。
半年ほど続いたが ケリーが辞めたいというので 意のままに受け入れた。
良一はたまに顔を出すのだが ケリーとあまり話さなくなっているという。
自分が連れて行って一緒に遊んだcokeを一人でやっているようだとも言う。
帰ってこない日もあるのだと・・・
それで、帰ってきたら必ず私に電話するように言付けたが、彼女から電話は一度もかからなかった。
こちらから電話しても 電話に出るときは良一ひとり。
良一の話だとケリーはすっかり痩せてしまったという。

法律や警察力で安全が保たれる社会においては違うのかも知れない。
しかし、「旅に出る」ということは大きな危険とリスクを背負うことなのだと思う。
余りに人間として幼いうちは 旅に出るべきでは無いのかも知れない。
それは生死を伴う程の結論やそれに類似した取り返しの付かない結果となる事があるからだ。
人生は一度しかないから 旅をするもしないもそれが叶う自由な状態そのものが幸せなのだ。
cokeは大きな危険の一つ。

私もかつて NYで生活をして間もない頃 cokeにおぼれそうになった。
主に94thSt.にあるビルで手に入るそれ。その他にも 101thの黒人ナイルスの自宅やその他ヒスパニックの名「ホセ(どいつもこいつもホセなのだ)」が自宅を紹介する。
ハーレムの下の方では どこでも手に入る。
94thSt.のビルなどはビル全体がcokeのデパートなので、暗い階段の防火扉の前に男が居て物々しい。ドアを入るときにピストルを突きつけられたりする。
しかし、そこ以外の殆どは 普通の家で テレビを見ている居間で 雑談をし秤で1グラム量ってアルミフォイルに丁寧に包み込む。
粉のまま鼻からすすっている内はそれほど一度にドンと利くことはないが、アンモニア水にとかし、火で加熱した後 冷水に入れると試験管の中で純度の高い固まりになる。
それをガラスの器具とガストーチを使って気化させたものを吸い込むと 吐き気と共にぐらっと来る。
2度目は1度目より利かない。・・・が、1度目が忘れられなくて3度4度と繰り返す。
無くなってしまうとタクシーを飛ばしてアップタウンに買いにまた出かける。
朝までそんなことをしてそのまま仕事に出かける。
夜になるとまたタクシーでアップタウンに・・・
そのうちに 自分はどちらの世界が実在の世界か判らなくなってくる。
この次点で私の心の中に、ここから先に行ってはだめだという気持ちが湧いてきていた。湧いては来たが 一人でどうにも成る物ではない。麻薬とはそう言うモノだ。
どちらが現実の世界か?それすら判らないのであれば、すでに廃人だ。
自分の意志で止められないのならば、もはや日本に帰るしかない。
心のどこかで こっちが本当だよ!と呼んでいる。
その声に耳を傾け、真剣に日本に帰ることを考えはじめた頃
私の様子を見ていたMMさんが助けてくれた。
一度だけ 私を怒鳴りつけてくれた。「お前は何をやって居るんだ」と・・
それだけであの時の私には十分だった。

翌日から 私の戦いが始まった。
仕事の後に出かけるのはアップタンではなくダウンタウンだ。
毎晩、一人でビレッジに出かけて ライブハウスでジャズ・ブルーズを聞く、アルコールを呑む。
来る日も来る日もライブハウスで音楽を聴いて帰宅し、ベッドに倒れ込んだ。
ビレッジのライブハウスを殆ど行き尽くした頃には、私は呪縛から逃れていた。
私はMMさんの一言とミュージシャン達の演奏に救われて自分を持ち直すことが出来た。

その後、私に何も言わずに ケリーがどこかに去り、そのことを聞いた直後に
良一は日本に帰ってしまった。
ケリーには子供が出来ていたという。
別れの挨拶すら出来ていない。悔しい。
半年くらい経って 日本の良一から手紙をもらった。
元気で暮らしていますよという内容の当たり障りのない文面に少し安心したけれど、
差し出し人覧には名前だけで住所がなかった。
これが彼なりの別れの挨拶なのだと、その時に感じた。
どこにいても元気で生きろ、
お前達はいつも心の中で見守っている。
あばよ!
ケリーはネブラスカに帰ったのだろうか?
私は良一もケリーも大好きだったので あの時自分が何も出来なかったことをずっと考え続けている。
忘れることは無いだろう・・・・・・・・
あの時の子供がもし元気に生きていれば 今頃は20歳を少し過ぎた頃だ。
最近のコメント