球拾いの野球少年

Bousi

子供の頃には野球をさせてもらえなかった。
祖父がバットもグローブも買って呉れたのに
しまったまま 私は 見ることもなかった。
そう 亡くなる前の父が私に知らせてくれた。
父が仕舞い込んだまま 私には見せなかった。
そう言うことだ。
だから 皆で野球をするときには 球拾いしか出来なかった。
そう言う家庭だったし、それで良かったと 今では思う。
子供の頃は反抗したに違いないが それが私を育てて 作った。
長い年月が その正しさを 証明している。
その父が 撮影した写真の私は ジャイアンツの帽子を
かむっていた。


09

そこまで 本気で私たちの事を思える人に育てられたのだと・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京の下町少年「おつかい」

24_2
豆腐屋
朝、「○○ちゃ〜ん、お豆腐買ってきて頂戴」と母に言われる。
お鍋「アルミの両手鍋に蓋」を持って出かける。
「絹ごし豆腐一丁ください。え〜と、(言われたとおりに)お味噌汁に切ってください。」と言う。
お鍋を渡すと 豆腐屋さんはそれに豆腐の水槽から水をすくい入れ横に置く。さらに水槽の中から長細い豆腐を水の中ですくい、大きな四角い包丁で 一丁分切り分ける。
それを 手のひらの上で一切れが将棋の歩駒くらいの 平べったい大きさに切ってお鍋に入れてくれる。
帰りはバランスを崩さぬように 両手で鍋の取ってと蓋を持ち
早足に帰宅する。
豆腐の水が鍋からこぼれ 足元にかかる。
母には納豆を頼まれるときもある。
納豆と言えば薄い木の皮に三角に包まれていた。
今のものよりずっと粒は大きかった。
その三角にたたまれた 木の皮を一度開けて 隅っこにカラシをスプーンで入れてまたたたみ 渡される。
それをお鍋の蓋の上に載せて帰宅する。


酒屋
玄関で 「○○さ〜ん。酒屋で〜〜す」と言う声がする。
当時 近所の酒屋は ご用聞きに 一軒一軒回って注文をとっていた。
だから 余りお使いの記憶はない。
「まにあってる」と返事をしておいてと母に言われてそのとおり「まにあってま〜〜す」と言う。
それでも 時々はおつかいをする。
ソースを買いに行かされる。
三合の酒瓶(かなぁ?)をもち酒屋に出向き「おソース、濃いの一合、薄いの二合ください。」
酒屋さんは 私の持参した酒瓶にじょうごを載せその中に木の升をいれ ソースを量ってはその中でひっくり返して 最後に振って混ぜ合わせて私に手渡す。
お味噌は 木の皮に 量り売りだった。
「白味噌を1キロづつください」 と そのようだったと思う。

油屋
近くに油ばかり売っているお店があった。
間口一軒の小さなお店で 店頭には何もなく 一升瓶を持参して油を買う。
店のひとは 奥に行って 油を一升瓶に入れて 店頭に持ってくる。
菜種油が多かったと思う。
油を入れた酒瓶は 滑りやすいので なにやら紙でくるんでくれたように記憶している。定かではない。

氷屋
夏には氷をよく買いに行かされた。
母にお金と空の買い物かごを渡される。
買い物かごは女性が持つという感覚が私にはあったので 気恥ずかしかった。
母の好きな藤色の買い物かご。
氷屋さんは 大きな手鉤で 氷室から氷の固まりを引きずり出し、目の粗い大きなのこぎりで 一貫目分切り分ける。
シャカシャカと 切っていき 半分も切らないうちに のこぎりを引き抜く。
その後 鋸の背の方を切りかけた溝に入れて えいっ!とやると 見事に一貫目が分離する。
それを新聞紙にくるんで 買い物かごに入れてくれる。
たらたらと水滴を垂らしながら 急いで帰宅する。
水道の蛇口の下で氷を洗い 千枚通しで端っこを切り欠き さっそく口にほおばる。
これが たまらなく美味しい。

パン屋
近所にパン工場があったので それを向かいのお店で 小売りしていた。
「一斤を8枚切りでください。」と言うと スライスマシンで 長細い食パンを 切ってくれる。一番初めは耳の所、これは 勘定に入らない。
2番目から 8枚。
「ジャムとバターを塗ってください。」というと お店のひとは 一斗缶入りのバターとジャムを へらで べったりとパンに塗ってくれる。
へらでとれるほど柔らかいのだから マーガリンだったのかも知れない。
工場でできたてのパンに ジャムとバターのミックス。
勿論、半分バター、半分ジャムというのでもかまわないのだが私はミックスが好み。
家に帰り それを切らずに 四角いまま手に持ち 食べる。
耳の所からかじっていき 真ん中の柔らかいところと ミック味を最後に取っておく。

豆屋
豆専門のお店も近くにあり 赤飯を炊くようなときに 豆を買いに行かされた。
「ささぎを三合ください」等と言って買った。
一合升と五合升は 豆の側に置いてある。
エンドウ豆は 色が濃い方を あんみつに入れてくれたり 炊き込みご飯「豆ご飯」にして食べさせてくれた。
おはぎにも 小豆は欠かせない。
祖母がゆでた小豆を何度も 濾して こしあんを作るのを見るのは 楽しかった。
そう言うときには 祖母が 母と共同して こさえていた。
食の主役が祖母から母に家の 移り変わるのを私は見ていて、もう私がおつかいが
出来る頃には 祖母は現役を引退していた。
ただ、遊びのように おやつや 副食物を 祖母がたまに作ってくれた。
こしらえると言うのは 家では こさえると 言っていたのだが・・・
「こさえる」で いいのだよね?

豆は 今よりずっと 身近なものだったと思う。


肉屋や魚屋は母の領分だったが、「豚こま300グラム買ってきて」などとは頼まれた記憶がある。八百屋には 「もやしひとつかみください」というと 樽の中に水にっつかったもやしを ひとつかみして 売ってくれた。
その他に 祖父に頼まれるたばこ。「しんせい5つ」角のたばこ屋さんで、200円で5個買えた。
三河島駅前の果物屋には 「台湾バナナ」をよく買いに行かされた。おせんべい屋さんにも良く行った。一番近くのおせんべい屋さんは 角の普通の家で(仕舞た屋(しもたや)と言う)入ると土間がありその奧でおせんべいを焼いていた。お店に一人しかいないときには 作業が一区切りつくまで待った。
此処の塩せんべい(今のサラダ油で揚げて塩がまぶしてあるものではない。丸い醤油せんべいのことを塩せんべいと言った)が 今でも私は一番だと思っている。
香ばしくて、てかてか光っていない 甘みの少ない 丸いおせんべい。
醤油のたまりが多い 今で言う「ぬれせん」の部分、あるいは 焦げて苦いところ・・・
そんな味の変化がたまらなく美味しい。
そんなおせんべいも 買い置きしていると 湿気ってくる。
火鉢であぶってたべると言う楽しみが待っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)