偕老同穴

進級進学お祝い会

上の子二人は幼稚園にお世話になった。
10年、間が空いて 三女が 保育園を卒園するのだ。
だけど、卒園式とは言わない。
「お祝い会」という。
子供をあずけたときの気持ちを思いだし
無事に 送りだしてくれる人たちに ありがとうございました。
その日はもうすぐなのだ。
日取りはわからない。
心からありがとうございました。
にじ色から奥西。
ほんとうに なにからなにまで お世話になりました。
君もいつも笑顔で 頑張ったね。
お父さんも 忘れないよ。
お祝い!

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iDEATH

ブローティガンの in watermelon sugarのなかに出てくる アイデス。
日本語で書くと 愛です
何ナノこれは?
以下 どこかの転載。
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iDEATHは一見平和なユートピアのようですが、その名前"iDEATH(自己の死)"が示しているように、個人の主体性を抑えたところに成立した、夢のようではあるが、無力で沈滞した世界です。
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おとな子供の遠足、雪山編

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総勢8名。
そのうち 4名が初体験という・・・
私以外は 全員スノボ。
初めは かなり苦戦していた初体験組が 後半はそれなりに滑ることが出来るようになった。


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途中で彼らが「楽しくなってきた」と話しているのを聞いたときに
うれしくなった。


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A地点がスキーセンターという出発点だった。
Bまでリフトに乗りBからAへの 超緩斜面を初体験組がワアワアやっている。
私も ブランクが長かったので 全く板がついてこない。
彼らを追い越し 2、3本このコースをやると 
大分思い出してきた。


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それで彼らを置いて 一人で少し滑ろうと考えた。
BからEにおりて、山頂のCまで行く クワッドリフトに乗った。
コースの地図を持って行かなかったのが原因となり私は後で凍った。


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CからIに来てそこから Gまで降りようと考えたが、やや急の上級者
コースだったから それを外してDまで行った。
所がその先は・・・
このスキー場で一番の難所だとあとで気がついた。

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覚悟を決めるまで 少しかかった。
だが いったん滑り出してみると それほどのことも無く
何とかクリア。
首から提げたD50も濡れずにすんだ。
これで、一皮むけた。
自信がよみがえった。

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しかし、それからが やや大変。
コース図を持ってこなかったので 帰り方がわからない。
結局殆どのコースを滑ってしまった。
H地点では ハーフパイプを楽しむ人々を見て 少し休憩を入れた。
やっと帰ってきたら、皆はABを繰り返していた。


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スキーセンターで お昼休憩を取り午後は 皆とCまで行くようになった。
Cから 彼らは 黄色く塗ったコースを滑り、
私は 時々パノラマコースという 見通しの良いコースを降りてきた。
このコースが おそらく一番 無理なく 長い距離を一度に滑ることができる。

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大分上達してきた皆の滑りをカメラに納めながら
「曲がるのめんどくせ〜〜」
で 手を抜いて滑っていたが
お終いのころちょっとまた急斜面が滑りたくなって「浅間コース」という所を降りてきた。
帽子を飛ばしてしまい、そのあと緩斜面に降りてきて安心していたのと、スピードが大分出ていたので私は一度だけ転倒してしまった。
カメラが濡れてしまった。トホホ


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「体力」という言葉を何度も言ってしまったことが 本日の反省点。
言い訳をすること自体が 年寄りだと感じた。
十数年ぶりで この歳で まあまあ 滑ることが出来たと思う。
板の真ん中に乗っていない感覚は 常につきまとったが
とても楽しい一日だった。
帰宅して 体重計に乗ったら 大分減っていた。


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ひなまつりより、ひまなつりがしたい

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NYのミドタウンに 「節句」というレストランを開業させる手伝いをさせてもたったのは もう 25年近く前のこと・・・
なるほど「節句」かぁ
こんな名前のレストラン 今まで聞いたことがない。
良い名前だと思う。

ここのオーナーの娘さんの名前が 私の三女の名と一緒だ。
なにも縁もない事だが 「そんなの関係ない」かぁ

試しに「節句レストラン」で検索してみると
F.Tという懐かしい名前が出てきた。
私と一緒にアメリカの永住権の面接をうけた
ジャズのドラマーだ。
彼なりに一生懸命頑張っているのだなぁ・・・と言っておくことにする。


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去年まで女の中で 黒一点の存在だった私は
今年は一人なので今日がひな祭りだとはシラなかった。
立ち寄ったスーパーマーケットで桃の花などを見て
「ああ、そうなんだ」と気がついた。

女7対男1の節句なんて 面白いわけがない。

時間に余裕があるときには 子供達を釣りや、スキーや、キャンプに連れて行った。
家の中でひな祭りなんかしたくない。
釣れなくてもいい。
ヒマな釣りがしたい。

と、今日は やや 不機嫌。(^^;)

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子供が宙に舞い、笑顔が空を飛ぶ

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長女からFTPで 建国記念日の写真が届いた。

私自身は 風邪引きでカメラは置いてきていた。
初めから最後まで 笑いっぱなしの一日だったことがこの写真を見てわかった。

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子供の撮影した写真なので ほんの少しだけ 載せる。


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笑顔の締めくくりは 宇宙遊泳で 大笑いした。


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おとな子供の遠足、下町編

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渋谷ハチ公前に11時。
ここに 現れたのは 5人。
全く集まりの悪い子供達。
新幹線を横に見て 浜松町へ

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浜松町で 二人待ち 三十分。
コーヒーと パン工場。

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やっと 二人来て 日の出桟橋まで歩く。


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四十分待って やっと 水上バスに乗る。

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橋の下をとおり アサヒビールが見えたら 目的地は直ぐそこ。


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皆勝手に 甘酒やせんべい 人形焼き、あげまんじゅうを食べ歩く。

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お参りも もちろん!


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そのあと 銘々 みくじを引く。

私は今まで 一度も引いた記憶がない。
気にしないたち・・というか 関心がなぃ〜〜?


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凶が出ては 嘆き 吉が出てははしゃぐ。


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寒くて お腹がすき 釜飯やに直行・・・
と思ったが やはり 千茶により 仕事の邪魔をする。
勿論 お土産に くりむし羊羹を購入。
一緒にいた一人が 代金を払った私に 3つ買ったのに 3で割れない代金だったと 気がついていた。はて???

釜飯は 炊きあがるまで三十分待つので お酒とおつまみを頼む。
仲居さんのススメで頼んだ 牛蒡の天ぷらは ちょっと 多すぎたかなぁ


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私の頼んだ 五目釜飯の梅。


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浅草を後にして カッパ橋道具街を 練り歩く。
商品サンプルの店で 一同感激。
なかなか 出てこようとしない。
ニイミのおじさんは このときはハンサムだ。

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米軍払い下げの古くからある 松崎商店で うさん臭がられた 集団は
上野駅で 8番目の人と待ち合わせをする。
もう、夕日が見えている。


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広小路口から入ったこの景色は 昔と余り変わらない。
祖父が品物を卸していたおもちゃ屋さんの脇を抜け 
好き勝手に 買い物をしながら アメ横散歩。


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韓国に来たかのようだという・・・
う〜〜ん 言い得て妙とは このことだと実感。
勿論 中田商店にも 立ち寄る。


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特に予定は立てていなかったのだが 集まりの悪さから 時間が遅くなってしまい
電車を利用することにした。
仲御徒町から神谷町まで日比谷線をつかう。


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最後の目的地 東京タワー(^^)v


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夜景がきれいな夜だった。

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展望室の下の階で ビールやらデザートで まったり。
もう動きたくな〜〜い

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・・・が、しかし 遠足は歩かなくては・・・

どこにでるか なかなかまとまらなかったが 新橋にした。

美々卯でうどんすきはどう?と

いやいや、 もう少し安くいきましょうよ。
と言うことでこちら、


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沖縄料理の店に入った。
なかなか楽しい空間だ。
歳のせいか 私は少しばて気味だったが ここで息を吹き返した。


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辛いものが 突き動かしてくれ 甘いもので ほっとする。


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ごちそうま〜
また、やろうね おとな子供の遠足!

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黒い私の血と同じワイン

仕事の合間に タイミングがつかめなくて ずいぶんと待ったのだと
長女は言う。
「お誕生日おめでとう」それだけが言いたくて 待っていたと言う。
私の通勤用バイクのヘルメットケース。
そこに プレゼントを入れておいたから・・・
「うん。忙しいから また、 うん、 ありがと・・」
夕方に 昼食がとれたので 自分のバイクに。
なにやら お酒のようだ。

家に帰って ただいま いただいて居ます。


Ketueki


お酒もワインも判らない彼女が選んだワインは
オーストラリア産の ぐっと深い味がした。
色も 私の血液と同じ 「黒」

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千茶をさがして大晦日

千茶の写真をさがしていたら 大晦日(おおづもり)の写真を発見。
今宵も大晦日。
何かの縁という気がして スキャンしてみた。
静岡県に大晦日という地名がある。
ここに 何度もお世話になった。

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H高の恩師のご縁。山奥の廃屋を別荘として利用。
ぴかぴかの別荘なんて 必要ない。
そこに集う人々が全てだ。


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ココに載せる写真は 手がかりはあるものの 誰がシャッターを切ったかは確定できない。


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だから・・・と言い訳して 著作権は・・・ゴメン!


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では、肖像権はどうか?


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自分が出てくるのは 良いが そうでない人たちは???


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もうお亡くなりなった方には どうか許してくださいとお願いする。


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そうではない方には 出来るだけ気を遣ったつもりだが 顔も姿も変わっているので
言われなくては判らないだろう???(^^;)

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のびると彼岸花を間違えて食べてしまったという事実は 誰のせいか?

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沢ガニを唐揚げにして もうそんなことをしなくても 栄養がとれる時代だったのに・・・

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そんな 大晦日は 今どうなっているのだろう?
そう・・・ふと思う。
大晦日よ永遠なれ!

皆様 良いお年をお迎えください。

ありがとうございました。

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千茶の若衆今昔図絵

Sen1


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取り返しのない旅

Cocain


NYという街は 私にとって特に孤独を強く感じる場所だ。
たぶんここに住む人の殆どが私と同じように感じているに違いない。
孤独とは何かを考える。そんな生やさしいものではなく、突然現れ、否応なしに襲いかかってくる。
孤独感というより 寂寥感というのだろうか?
私はこれがとても大切な感覚だと信じている。
NYで生活していくには・・・そう、作家ピート・ハミルのようにそんな感覚を文にして表現できるくらい、ある意味で敏感な感性と強い乾いた心が必要だ。
それを体験してみたいと思うあなたは、一度 クリスマスに合わせてNYにでかけてみるといい。
一人が嫌なら二人でも問題ない、5人くらいで出かけるとさらに番狂わせとなるだろう。
世界を旅してきた若者が、NYに来る。突然、いたたまれないという感覚に襲われあわててふるさとに帰る。
NYとはそういう街だ。


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誰にも干渉されない自由を選ぶ。
そして、誰にも助けを得られない孤独を覚悟する。
何が起きても何があっても 自分の力で強く生きていく。
そんなことは当たり前だとあなたは言うだろうが、あなたを軸にして半径一万キロ圏内に親身になってくれる人の無いというのは希なことだろう。

私はNYで親身になってもらったことがある。しかし、自分にはそれが出来なかった。その悔しさが忘れられない。忘れることが出来ない。


Kellyjo


私の中ではまだケリー・ジョー(仮名)に何もしてあげることが出来なかったという事が胸につかえている。

そのころの私は仕事にもNY生活にも慣れ経済的にもだいぶ余裕が出てきていた。

”See you later alligator. After while crocodile.”
アメリカ人なら誰でも知っている こんな子どもの言葉遊び等を私に教えてくれたのはケリー・ジョーという アメリカ人だ。彼女は中西部のネブラスカ州から 留学生の良一(仮名)と一緒にハイスクールを卒業して NYに出てきた。
彼らはまだ若く 良一は明るく元気で英語がうまく、特にニュースキャスターの真似が得意だった。
良一もケリージョーも180センチくらいの身長で ケリージョーの方が少しだけ背が高かった。彼女はブロンドでやや面長の屈託のない子だった。

その頃 会社には何台か車があり それをNJに住む従業員が使っていた。
その内の一台、カマロ・Z28で良一はNJからマンハッタンの店に出勤していた。
ケリーは遊んでいるのも勿体ないので 同じマンハッタンの店でコートチェック係りをしていた。
ケリーはよくネブラスカの母親と電話をしていた。
11人兄弟のしたから4番目か。常に家族の写真を携帯していた。
写真は一人ずつカードのようになっていて自分以外で12枚あった。
ヒゲ面のお父さんと 幼い妹のかわいい写真が印象的だった。
そんな彼女の両親がネブラスカから出てくることは一度も無かった。


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良一のほうは お母さんが一度だけNYに息子を訪ねてきて 私もお会いした事がある。
彼らがマンハッタンの本店で働き始めてから数年経った。
たまたまNJの支店の人が足りなくなったので良一にヘルプに行ってもらうことになった。
良一はホイホイと引き受けてしまった。しかし、私はこれが発端だと思う。彼らを手元に置いておけば良かった。
NJ支店に行ってからも良一は本店にたまに顔を出す。
ケリーは週三日ぐらいベビーシッターをしているという。
それで、私は彼女に週一回だけ私の部屋掃除と洗濯をしてもらうことにした。
一人暮らしのその頃の私、自分の部屋をきれいにしておく為にある人を頼んでいたのだが、その人が日本に帰ってしまったからだ。
鍵を渡しておける人はそう沢山は居ない。
ケリーは私の留守に部屋に来て洗濯と掃除をして帰る。
半年ほど続いたが ケリーが辞めたいというので 意のままに受け入れた。
良一はたまに顔を出すのだが ケリーとあまり話さなくなっているという。
自分が連れて行って一緒に遊んだcokeを一人でやっているようだとも言う。
帰ってこない日もあるのだと・・・
それで、帰ってきたら必ず私に電話するように言付けたが、彼女から電話は一度もかからなかった。
こちらから電話しても 電話に出るときは良一ひとり。
良一の話だとケリーはすっかり痩せてしまったという。


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法律や警察力で安全が保たれる社会においては違うのかも知れない。
しかし、「旅に出る」ということは大きな危険とリスクを背負うことなのだと思う。
余りに人間として幼いうちは 旅に出るべきでは無いのかも知れない。
それは生死を伴う程の結論やそれに類似した取り返しの付かない結果となる事があるからだ。
人生は一度しかないから 旅をするもしないもそれが叶う自由な状態そのものが幸せなのだ。

cokeは大きな危険の一つ。


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私もかつて NYで生活をして間もない頃 cokeにおぼれそうになった。
主に94thSt.にあるビルで手に入るそれ。その他にも 101thの黒人ナイルスの自宅やその他ヒスパニックの名「ホセ(どいつもこいつもホセなのだ)」が自宅を紹介する。 
ハーレムの下の方では どこでも手に入る。
94thSt.のビルなどはビル全体がcokeのデパートなので、暗い階段の防火扉の前に男が居て物々しい。ドアを入るときにピストルを突きつけられたりする。
しかし、そこ以外の殆どは 普通の家で テレビを見ている居間で 雑談をし秤で1グラム量ってアルミフォイルに丁寧に包み込む。
粉のまま鼻からすすっている内はそれほど一度にドンと利くことはないが、アンモニア水にとかし、火で加熱した後 冷水に入れると試験管の中で純度の高い固まりになる。
それをガラスの器具とガストーチを使って気化させたものを吸い込むと 吐き気と共にぐらっと来る。
2度目は1度目より利かない。・・・が、1度目が忘れられなくて3度4度と繰り返す。
無くなってしまうとタクシーを飛ばしてアップタウンに買いにまた出かける。
朝までそんなことをしてそのまま仕事に出かける。
夜になるとまたタクシーでアップタウンに・・・
そのうちに 自分はどちらの世界が実在の世界か判らなくなってくる。
この次点で私の心の中に、ここから先に行ってはだめだという気持ちが湧いてきていた。湧いては来たが 一人でどうにも成る物ではない。麻薬とはそう言うモノだ。
どちらが現実の世界か?それすら判らないのであれば、すでに廃人だ。
自分の意志で止められないのならば、もはや日本に帰るしかない。
心のどこかで こっちが本当だよ!と呼んでいる。
その声に耳を傾け、真剣に日本に帰ることを考えはじめた頃
私の様子を見ていたMMさんが助けてくれた。
一度だけ 私を怒鳴りつけてくれた。「お前は何をやって居るんだ」と・・
それだけであの時の私には十分だった。


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翌日から 私の戦いが始まった。
仕事の後に出かけるのはアップタンではなくダウンタウンだ。
毎晩、一人でビレッジに出かけて ライブハウスでジャズ・ブルーズを聞く、アルコールを呑む。
来る日も来る日もライブハウスで音楽を聴いて帰宅し、ベッドに倒れ込んだ。
ビレッジのライブハウスを殆ど行き尽くした頃には、私は呪縛から逃れていた。
私はMMさんの一言とミュージシャン達の演奏に救われて自分を持ち直すことが出来た。


Bihind

その後、私に何も言わずに ケリーがどこかに去り、そのことを聞いた直後に
良一は日本に帰ってしまった。
ケリーには子供が出来ていたという。

別れの挨拶すら出来ていない。悔しい。

半年くらい経って 日本の良一から手紙をもらった。
元気で暮らしていますよという内容の当たり障りのない文面に少し安心したけれど、
差し出し人覧には名前だけで住所がなかった。
これが彼なりの別れの挨拶なのだと、その時に感じた。
どこにいても元気で生きろ、
お前達はいつも心の中で見守っている。
あばよ!

ケリーはネブラスカに帰ったのだろうか?
私は良一もケリーも大好きだったので あの時自分が何も出来なかったことをずっと考え続けている。
忘れることは無いだろう・・・・・・・・
あの時の子供がもし元気に生きていれば 今頃は20歳を少し過ぎた頃だ。

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地蔵峠に出るまで

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不思議なことに いつだってそうなのだ。


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長野の市街地に入ったとたん 私は方向音痴になる。
それまで 整然と頭の中にあった方位磁針が ぐるぐると回り出してしまったかのようになるのだ。
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地図と見比べて自分の位置を確認できるまで かなりの時を要する。車でなら地図を広げることは簡単だが まして今回のようにバイクでの場合は大変な作業になる。
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バイクを路肩に止めて 地図を引きずり出して きょろきょろ うろうろ・・・

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やっと見つけ出したMMさんのお店。
二階にある。下から見上げると 窓が開いているので 呼べば答えてくれそうだ。しかし、MMさん一人とは限らない、だからこの場はいち早く 二階へと階段をかけ上がる。
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「こんにちは〜」「居ますか〜」タッタッタッ

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肺ガンの宣告を受け、手術が出来ないと言われたMMさん。
驚いて飛んで見舞いに来たのが 5年前か?
先月、NYから帰ってきていたK君の話しだと大変元気だそうで 喜んでいた。
そう聞くと 会いたくてたまらない。だから 仕事の休みを取った。

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東京から9時間以上もかかって バイクで来た私に 「何時間かかった?あのバイクか?」と窓からバイクを見下ろし、「荷物ぐらい下ろしてコイよ」と言った。
荷物もキーも付けたまんまだった。
荷物を下ろして二階に再び上がると、ピッチャーにバドワイザーを並々注いで 彼は待っていた。
まずは一杯。グラスに一杯ではなく ピッチャーに一杯。
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二の腕からは アセが乾いて塩がふいている。20号19号と走ってきて、塩尻峠を下りたところで 頻繁なギアチェンジのせいか 左足が攣った。尻が痛い。首が重たい。


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話さなくてはならないことを先ず話し終えると、彼はキッチンに姿を消して 5品ほど つまみを持ってきてくれた。


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貝割れのサラダが目につき 一箸口に放り込んだ。
そのとたんに わっという 衝撃が走った。
この味は久しぶりの味だ。
うまい!計算してみると20年は 味わっていない。
レシピとは こういう事なのだ。
長年勤めたNYのYレストランのオリジナルドレッシング。
もう お店自体が無くなってしまった今、誰がこの味を出せるのか。
MMさんは 笑っている。


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私が近くの銭湯に行ってさっぱりしてくる間に MMさんの友達のNさんが来ていた。彼とは8年ぶり位だろうか?
彼とは若気の至りで かなりハメを外して遊んだりしたことも今では想い出。時効です。

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帰りのルートを相談したところ 地蔵峠を抜けて、上田から小諸におり、141で野辺山経由はどうかという事になった。

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長野方向音痴の私に 詳しい地図を書いていただいた。


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グレートアドベンチャーでまたビールが飲めるようになりましたよ

グレートアドベンチャーでまたビールが飲めるようになりましたよ。

”I'm hungry"とむずかるもうすぐ11歳になる彼の子供に何か食べさせようと
お台場ヴィーナスフォートの隅にある ハワイアンカフェのようなところに入った。彼に 好きな物をとらせ、私たちはビールを飲んだ。

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その日は昼前から彼の子供を遊ばせるために お台場に来ていた。
我々が知り合ったのが24年前。
私がNYをあとにしたのが 17年前、彼が結婚したのが15年前、彼に男の子供が出来たのが10年前。
その17年で彼が日本に帰ってきたのが6回くらいか?
その都度 あちこちで飲み歩き 鹿島の先輩のところや長野に行ったりした。
今回、初めて 彼は子供を連れてきた。
アメリカで生まれた彼は 今は二重国籍で 22歳で日本か米国のどちらかの国籍を
選択することになる。彼に日本人の友達はいないそうで、父が日本語で話すと英語で答える。難しい日本語は 英語にして話しをする。特に私にも違和感は無い。
子供につき合い あちこちを見てから お腹をすかせたのか 疲れたのか判らないが、我々も休憩にした。

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Aさんが またお店を出しましたよ。Yさんの息子がハーバードに入りました。
Eさんはマンハッタンに住んでいます。などなど・・・・
懐かしい人々の話をひとしきり聞いたあと


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あっ そういえば
「グレートアドベンチャーでまたビールが飲めるようになりましたよ。」
と彼が言った。
6フラッグスの遊園地グレートアドベンチャーに 我々は毎年のように行っていた。ニュージャージーにあるそこはアメリカにしてはかなり湿度が高いところだった。
それで 私たちにはビールが必須の条件だとさえ思いこんでいた。
それが 園内での発砲事件のあと アルコール禁止の遊園地になってしまったのだ。
ビールが飲めなくて辛かったこと、貸し切ったバスに戻り冷えたビールをごくごくと飲んだこと、あんなこと、こんなこと・・・

Obviously あの頃の未来に We are living.


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手紙

三女から手紙が着いたので 返事を 考えています。

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子別れ

 引っ越しの殆どが終わり、いざ家を出るという夕方になって三女が家に帰ってきた。「お父さんは 今日から違うお家で暮らすから もうこの家には居なくなるんだよ。良い子で元気にするんだよ。」という話しをした。
その時に 彼女の目が泳ぎ、困ったような顔をした。それは受け入れることが出来ない。だから まだ何もわからないだろうに、ただ「どうして?どうして?」と私に聞きすがった。私にはそれに答えることが出来ずに 立ち上がって家を出た。

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子供の日に長女と三女が私の新居に遊びに来てくれた。私が家を出てから三女はだだをこねてばかり居ると言うことだったので、一日も早く 安心させてあげたかった。彼女が私の部屋に来るといつも手にとって遊んでいたいくつかの品がある。それをその日の朝 数点選び、目に付くところに置いてあった。


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一対のお墓

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一対のお墓
久しぶりにお墓参りに出かけた。私ひとりだ。
家の女どもは前から約束してあったとかで 浦安のディズニーシーに朝早くから出かけていない。
電車を乗り継ぎ高円寺のお墓に来てみると 消えかかった線香と黄色い花が生けてあった。
誰か先客があったことがわかった。叔母か従姉妹かどちらか、いや従姉妹だろう。特に調べる気持ちも起きず お寺で線香を二対購入して お参りをした。
向かって左側が 家のお墓、右側が 祖父のお姉さんが嫁いだ先のお墓だ。
以前のこの寺には家のと同じような古いものが多かったし、屋根の着いたお墓も多かったのであまり感じなかった。だが 改めてこの写真を見てみると 殆どのお墓は整理され、さらに細かく分譲販売されたかのようだ。それでこの二つのお墓だけは異質なものに見える。
右のお墓には お花は生けてあるが お線香はなかった。家の誰かが お花だけ分けていったに違いない。
私は同じように 自分の用意してきた一対のお花をほどいて 2つに分けお線香は二対用意したので両方のお墓にお参りをした。
お墓の後ろの卒塔婆は 左は叔父の七回忌のものがささっていて 右は御施食きのものが一本だけだったので 右の家の家族は全員無事だと言うことがわかる。
この2つお墓の真ん中にはかつて百日紅が植わっていたが 縁起が悪いと父が切り倒してしまった。あの木は残っていればもう少し 見てくれが良かったのではないかとふと思う。私の兄弟は私以外は結婚していないし 私には女の子がいるばかり。いずれはお墓ごと整理されるのであろう。

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